Vol.6 木作家 吉川和人さん 大台町に工房をオープン

名古屋から大台町まで車でおよそ2時間弱。指定の時間に指定の場所に向かうと、そこはフォレストチャレンジ事務局で、吉川さんはこれまでの活動報告やこれからの企画を説明している真っ最中。まだまだ公開できないものの楽しそうな企画が盛りだくさんですよ!

企画が盛り沢山なのも、実は吉川さんの新しい工房が、大台町にできたからなんです!

広い工房には、まだ木工機械が並び始めたところ。

こんな大きな機械とか、

こんなシブくてカッコいい木工用の機械をご近所の方の応援によって貰い受けた吉川さん。

一年以上探していた工房。役場の空き家バンクを頼っても、大台町内の知り合いに手伝ってもらって探してもなかなか見つかりませんでしたが、ひょんなことからご縁があって知り合った方が、トヨタフォレストチャレンジや吉川さんの活動を応援してくださるということになって、使われていなかった工場を紹介してくれて、工業機械を快くご提供くださいました。

いよいよ吉川さんの、大台町発の作品を生み出す準備が始まりました。

吉川さん:地元の方の応援のおかげで、やっと探していた工房が見つかりました。やっぱり地域の方々とのご縁は大切だなって実感しました。


吉川さんはこれまで東京都世田谷区の工房で木作家として活動し、国内外にいる吉川さんのファンの方々の依頼に答えて作品を受注製造販売してきました。現在も作家としての活動を続けつつ、トヨタフォレストチャレンジ「森あげプロジェクト」のチャレンジャーの一人として、三重県大台町にも工房を持って、大台町内の魅力的な方々と協働し、大台町発のオリジナル作品を発信していきます。乞うご期待!

吉川さんの作家としての作品

吉川さんの作品は、ホームページインスタグラムからもご覧いただけます。

大台町でのチャレンジは、森とひととのつながりを作ることを目的の一つとし、作家業とはすこし違うのですが、自分がいまの仕事を選んだ原点やきっかけに近づくような、そんなプロジェクトにしたいと思っています。

大台町の工房の様子は、吉川さんのもう一つのインスタグラムのアカウント「a day in the forest」からも発信されますので、皆さんぜひご覧くださいね。


吉川さんが大台町に工房を持った目的は、東京と大台町を車で行き来すると、片道5時間半から6時間運転した後、東京の仕事と大台町のプロジェクトのどちらも、頭を切り替えて準備を始め、作業ができる頃には日が暮れてしまって、移動日の負担がだんだん大きくなっていったこと。

大台町内で一緒にプロジェクトに取り組んでいる方々と打合せをするのに、大台町内に拠点があれば、大台町に滞在する日数を伸ばしてスケジュールを調整しやすくなること。

そしてなにより、吉川さんが仕事で必要とする「素材=木」が、東京に比べて遥かに近くにあるということ。

それらの理由もあって、吉川さんは大台町内に工房を探してきましたが、この度いよいよ工房が見つかり、大台町での活動にも、まさに、地に足が着いた感が増していくことでしょう。


川が大好きと言う吉川さん。工房を一周り案内してくれると、「川に行きませんか?」と誘ってくれました。ここから車で移動するのかな?と思ったら、いきなり手に棒を握りしめた吉川さん。工房の裏へと歩いていきます。

川で泳ぐのも大好きですが、川を何時間でも見ていることもできます。

鬱蒼と生い茂る草を、手にした棒を巧みに振ってかき分けながら進んでいく吉川さん。しばらく付いていくとその先に、宮川が見えてきました。

伊勢神宮にも流れ着く宮川の、その源流を有する大台町。国土交通省が選ぶ、一級河川の中でも「水質が最も良好な河川」の一つに過去に何度も選ばれている美しい川、宮川が、吉川さんの工房からすぐのところにありました。

いろいろな地域の美しい川に取材などで行かせていただく機会があって思うことは、その美しい川のそばには、必ずと言っていいほど、美しい森があるということ。川の美しさを保つためには、森が健康で美しくあることも、大きな要素になっているのではないか、ということです。

森林がしっかり管理されて下草がよく茂っていると、その下草がフィルターになって、山の土砂などが川に流れ込むのを防いだり、また、地中を通って流れ出る雨水が小さな滝となって、それが小川になり、集まった水が川になって、海へと流れていく。健康で美しい森が近い川は、山からの清水がそのまま流れているかのような、もしかしたらそのまま飲めそうなくらいの透明感。

あくまでも個人的な意見ですので、詳しいことは専門家の方に伺ってみようと思います。美しい川を見つけても、川の水を決してそのまま飲まないでくださいね。

かなり泳ぎたそうだった吉川さん。私が取材で伺っているのを気にかけてくださって、ちょっとだけ散歩して、すぐ工房へと戻って行きました。

やっと気づきましたが、手にしていた棒はどうやら洗濯竿のようでした。

ちなみに工房の裏から見下ろすと、宮川がこんな風に顔をのぞかせてくれています。真っ青な宮川に吸い込まれるかのような気分です。川が大好きな吉川さんがこの場所を気に入ったのも、工房のすぐ裏に川が流れているという点も大きなポイントの一つだったようです。

工房に戻ると、すぐに吉川さんが、近所のやなで食事しませんか?と誘ってくれました。

やって来たのは、清流茶屋さん。宮川上流漁業協同組合さんが経営する鮎料理専門店です。

お値打ちな価格で地元産の鮎料理が楽しめます。お店の席はどこからでも美しい宮川を望むことができるように設えてあります。美しい景色と美味しいお料理に大満足。

舌鼓を打ちながらあっという間に食事を済ませると、吉川さんはまた川へと降りていきました。

川が好きなのは、子どもの頃の体験から来ているのかもしれません。森が近くにあって、そこには川もありました。親に家路を急かされてもずっと川を見つめていた記憶があります。

ちなみに宮川へと続く階段には、アユくんがいました。

工房でちょっと作業しますね。

まだ試運転を開始したばかりの工房には空調がないので、ちょっと体を動かすだけで汗が吹き出してきます。慣れない工具にちょっと手を焼いていた吉川さんですが、いただいた機械の様子見ということもあって、少し修理したら良くなると思う、とか、これは新しい部品を買って、こうしてあーして、と頭の中がフル回転しているようでした。

この工房は、製造所という場だけではなく、ワークショップも開催したいと思っているんです。

吉川さん:ちょうど製造機能と市民工房のような機能を合体させられるようなところを探していたんです。この工房は、世田谷の工房の、離れのアトリエという感じから始められたら良いなと思っていて、体験教室というような感じのワークショップもここで開催することを考えています。

子ども向けのワークショップは、山や森の楽しさと大切さを伝えられるようなものにできたら良いなと思っています。


約束の時間に三重額椽さんへ

壁に英語で書かれた社名がレトロでオシャレ。終戦後の昭和21年から額縁を製造してきた三重額椽さん。老舗額縁メーカーで、創業当時は丸額縁を主に生産していたんだそうです。

この日吉川さんは、そんな三重額椽さんの歴史を誇る丸額縁を見学に訪れました。

出迎えて出さったのは、三重額椽の社長、山本茂正さん。

挨拶もそこそこに、会社に入ってすぐのところに置いてあった、木を湾曲させて作ったフレームに見入る吉川さん。

実はこの日は、当時丸額縁を実際に作っていた職人さんに会いにやって来ましたが、あいにくいらっしゃらなくて、翌日ならとのことで出直すことになったのでしたが、せっかくだからと山本社長が工場を案内してくださいました。

窓のフレームも全て木。その先に広がる景色が、工場をまるで映画のワンシーンのような空間に演出してくれています。

山本社長:昔はね、職人が手で木材を切って作っていたんですよ。40年くらい前までやってたかなあ。金箔は今はもう、できる人がいなくてね。

一軒だけ残ってるところが他所にあるんで、そこでやってもらってるんです。もういつまでできるか分からないねえ。作り手がどんどんいなくなってきてるからねえ・・。


買い出し

三重額椽さん訪問の後、吉川さん行きつけのホームセンターで必要な部品を買い足して、この後吉川さんは工房へ戻ってお仕事を再開する予定。

その前に、吉川さんが木作家として大切にされていることについてお話を伺ってみました。

吉川さんと柳宗悦

日本を代表する思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)は、1889年に現在の東京都港区で生まれる。1910年、学習院高等科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。宗教哲学や西洋近代美術などに深い関心を持っていた柳は、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業する。その後、朝鮮陶磁器の美しさに魅了された柳は、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開かれた。そして、日本各地の手仕事を調査・蒐集する中で、1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動させていく。1936年、日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後1961年に72年の生涯を閉じるまで、ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。 ー日本民藝館 よりー

そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起こさせる所以だと思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。手より更に神秘な機械があるでありましょうか。

岩波文庫 柳宗悦著 「手仕事の日本」より抜粋

吉川さん:僕も子どもいるんで現実的に考えると、単純労働の現場はドンドン変わりますし、プログラミングとかできたら仕事がいっぱいあるんでしょうし、きっと良いんだと思うんですけど、やっぱり木に触った方が頭が柔らかくなると言うか・・。

機械で木を加工することもできるし、今はその方が主流なんですけど、デジタルで制御するマシンがあって、それで家を建てちゃって、いろんな業界を巻き込んでいるんですけど、そうやって削った木は、実は後で人間が手で直しているんですよ。要するに木に狂いが出るのは、手で触っていないからなんです。木は一本ずつ違うし、材料を、きちんと手を使って触って削るほうが、木のことだけではなく、柔軟に発想できる力がつくと思うんです。英才教育を受けた子より、木を触って一から物を作ることを意識する方が柔軟になると思うし、物事を丁寧に考えられる、無茶な頭でっかちな人間にならないと思うんですよね。自分の体も自然の一部なんだ、っていうことをきちんと根っこに持ってたら。

もしかしたら、一方で英才教育を受けた人たちの方がすごい閃きがあるかもしれないですけどね。心がない合理的で生産性の高い閃きとか。でも、自分の子どもたちにはそうはなってほしくないと思いますね。

カウンター的なことはやってると思います。

吉川さん:カウンター的とは、先端の反対のことをしているということなんです。

どんどん人工知能が進んできて、僕たちがやらなきゃいけなかったことが、もうやらなくてもいいですよ、っていう時代になってきてると思うんです。大変だった「労働」は、もうロボットがやってくれるんで。じゃあ人間は「楽しいこと」をしていったら良い時代というか、そんな流れになっていますよね。

木工は実は楽しいことだと思うんです。そういう意味では新しいエンターテインメントという見方もできるかもしれません。ある側面では無駄なことに見えるかもしれませんが、ワークショップをすると、参加してくださった男性が3時間でも4時間でも集中してやってるんですよ。家族が呆れて、お父さんなにやってるの?もう帰るわよ。って言うと、お前これ、すごく楽しいんだよ! 木1本で何時間も集中できるんだ!って言ってたりするんです。

また、あるイベントに出演したプロのダンサーの男の子たちが参加してくれた時、20代かなあ、すごくカッコいい男の子たちだったんですけど、自分たちの出演の合間に集中して木を削ってたんです。メチャ楽しい!って。で、次の日も来てくれました。

無心になれることが少ないですよね、今の時代。すぐにスマホを見てしまったり。常に思考が働いていますよね。でも心が動く事が少ない。

柳宗悦が言っているんですが、機械で作られたものは、人間の心が切り離されてるんだけど、民藝や職人の仕事が見る人の心に触れるのは、職人が手を材料に触れさせて、そこから常に作者の心につながっていた作品だから。

あと、そもそも若い人たちに、間伐材を使いました。って言っても、伝わらないと思うんです。

「良いことしてるでしょ?」って押し付けられるより、「これのほうが綺麗でしょ?」って伝える方が早いと思うんですよね。

吉川さんは、11月に工房のお披露目として、オープニングイベントを開催しようと企画しています。

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